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2009年 03月 02日
先週はいろいろとぢごくでした。
脳内雲洞庵にこもって、己と闘っておりました。 周回遅れになっちゃいましたが感想書きます。のっけから言祝いでおこうじゃないか。 こまつせんせいが ふくせんを かいしゅうした! 喜びの幸若舞ぢゃ〜♪ってそんなちっちゃいことですまんのう(笑)。 干菓子の件はストーリーブックにも載っていましたし、 お藤の手にはお守りが握られており、中には幼い与六から贈られた干菓子が入っていた。 って公式にも書いてあったのに、第七話じゃ干菓子のひの字も無いまま田中美佐子が死んじゃって、「おいおい干菓子は堂々放置なんですかい?」と、ちょっと思いましたが。 当初のシナリオでは臨終の場で与七っちゃんが「兄上、これをご覧くだされ」と守り袋を見せるという成り行きだったようですが、わんこの謹慎明けにパパから手渡し、ってことに変更したみたいです。 干菓子のかたちが「紅葉」→お藤さんの紅葉の教え って流れなわけで、そういう意味では臨終の場ではなく、死後の「紅葉」を経たあとにこれを置いたのは正解だったように思います。 ていうか「干菓子」と「紅葉」の響き合いくらい普通に視聴してりゃあこの盆暗な私にだってわかることなんですが、こたびの大河公式ではそんなことまでいちいち懇切丁寧に補完解説してくだすってて。シナリオがアレで演出がナニなぶんだけHP制作スタッフさんも、なにかと腐心しておられるのかと思うと涙がぽろりです。 ナニといえば高橋陽一郎演出。 「手取川」と聞くと、 「石川県白山市の吉田酒造さんが作ってるお酒です」 と答えて悔い無しの自分のような者にこそ、「はねる謙信逃げるとぶ長」のドラマ的リアルを映像で見せて刮目させてよ!って話なわけですが、 「雲洞庵本堂地下にいつからひみつの異次元ルームが!?」 ってそんなとこで刮目させてどうする陽一郎。 いえ、もういいです。みなまでゆうな。予算が無いんですねわかります。なんにもないスペースに明かり1個置いて役者のアップの切り返しだけで「神懸かりの最強上杉軍」「織田軍が築いた累々たる屍の山」を語るしか手が無いってことなんですよね。 「長澤まさみ、やっぱぶっきーよりでかいんじゃん!」 ってわしはそんなとこで刮目しとうはなかったー(笑)。 そんななか、ほっこり心和んだのが柴田勝家さんのカットでした。 鬼のような容貌の菅田俊さんのうしろに、かなりひとをなめきったかんじのやつらがいますよ。 柴田さんの紋所「二つ雁金」。 ドラマに出てきたやつらはこれよりももっとたまらない顔つきだったです。アホの坂田師匠にそこはかと無く似て蝶でした。鬼柴田がいくらおそろしい顔をしたところでうしろでこいつらがこんなだからなにもかも水の泡でした。上杉家の家紋の雀もものすごい凶悪な顔でメンチ切り合ってて、『風林火山』のときは幔幕が映るたんびになにかと台無しな感じになっていましたが。鳥紋ておもしろいなあ。 そうしてまた軍神の琵琶が“恋の花”イントロまるぱく(ryな件。 世の流れは速い。 サンクス×20モニカ。 やっぱモニカフィーチャー場面だと前のめりになっちゃうわ。「いまのうち」が2個重なるのがちょっと惜しいけどな、台詞的にな。まあでもそこらへんの些末なミスタッチなぞぶっとばして余りあるモニカのえろすです。 「酔っておられる」と言う自分こそが正しく酩酊のなかにいることも、そんな自分がさきゆきすっころぶであろうこともすべて見透して、その上で「神を気取り、酩酊する謙信」にNOを突きつける快感という、更なる酩酊を渇望しているような風情。 忌憚無く言えば、自分はこのドラマの上杉謙信像に、信長に勝る魅力を見つけられません。 信長的な人物のほうが断然好きということもありますが、「これから上杉方面を好きになるかも知れない一般視聴者である自分」が普通にみていて「惚れてまうやろー」な衝動を、謙信にはおぼえないのです。 出来過ぎた優等生はどうしても好きになれない、ということかも知れません。 上杉謙信というひとは、優等生どころかそりゃあエゴがきつい男だったんだろうなあ、とぼんやり思っていますが、このドラマじゃ残念ながらそうじゃないです。 一昨年のガクト先生の上杉謙信公は、「色物で際物でなんかどっか変」というとこで腹を括ってくれた分、きもいけど指の隙間から見ずにはおられないという、たいへんいやらしい、グラマラスでグリッターな匂いを発散していたように思います。 阿部寛さんの上杉謙信公は、風采も立派だし美しいし怪獣みたいでとてもかっこいいです。 そして、偉いとか優れているとか、戦国最強だとか生涯無敗だとか、聖将だとか軍神だとか、ありとあらゆる賛美の言葉に塗れています。 しかしその代わりにこのひとは、「人としての色気」というものを完全に封じられているように感じます。 「生涯不犯の生臭さ」ということを第一話の感想に書きましたけども、やはりそうした遠望までは、望んだところで無理ななりゆきだったようです。 せめて史実通りに便所でひっくり返ってくれてりゃあなあ。 「ご立派」を絵に描いたようなひとの最期がそんなって、考えただけでずきずきします。そして阿部寛さんが演じているのだから、それはとんでもなく素敵なシーンになった筈なんだ。 しかしそれすらも彼には許されません。 脚本家は「上杉謙信」という人物についてそれなりに勉強されたのでしょうが、そのひとそのものをほとんど咀嚼しきれないまま、書き出してしまったのではないでしょうか。 私が考える義とは、人が人としてあることの美しさよ。 と言う謙信の、「人」としての足場がなんだか曖昧だから、そんな彼が言う「美しさ」も、なにがなんだかなのです。 「人が人としてあることの美しさ」なんてぼんやりした表現は、いかようにも拡大して解釈することが可能です。そういう曖昧なことを口にして余人を寄せつけない謙信そのものの輪郭も、非常に摑み難い。「義」というのみこみづらい観念に美服を着せて、立派な風采を纏わせてそこに置いているだけ、という印象です。「聖将」とか「軍神」という美称は、それではもう、揶揄としてしか響いてきません。その上で、 わしは長い戦いのなか、迷いに迷った末、己の義を得た。そなたにも、やがてそなたの義が見えてこよう。 そんなことを言うわけですよ。「神」は。 「迷いに迷った」というのは、脚本家の素直な声なのかも知れません。迷いに迷っていなければこの台詞そのものが嘘でありその場凌ぎです。ドラマというものは神でなく人間を描くものです。台詞というものは、神でなく人間の口から出るものです。未熟でだめな人間の口から零れる台詞を、同様に未熟でだめな人間が、迷いとおそれに塗れながら刻んでゆくからこそ、その果てに手にできるなにかがある。 それを「己の義である」と、その果てに辿り着いた人間だけが、いってよいのだと思います。 このドラマに於いて、「神」という美称を冠されひたすら敬われるばかりの上杉謙信公は、とても空疎なひとです。 そして、このドラマに於ける「上杉家」は、そういう空疎な人物が束ねていた家です。 彼の死後に、そういう家でなにが起きたか。 ということを考えてみますと、謙信公というものは、最初から空疎な神として、神棚に祭りあげられねばならなかった、のかも知れません。 そういうことまで俯瞰して書いているのだったらなかなかすごいことだと思いますし、この先に控えている「御館の乱」はずいぶんおもしろいものになってゆくでしょうし、ひいては「ホームドラマという空疎」への批評にすら、なり得るかも知れません。 いやいや。 そんなのは所詮、自分の穿ち過ぎに決まっています(笑)。 【殿のスマイルカウンタ】 第八話終了時: 16 あのー、第八話のサブタイは「とのがわらった!」で良かったんじゃないでしょうか。 「笑った」だの「先週より台詞が多い」だの「いっぱい映ってた」だの。 それっぱかしのことで無闇に嬉しくなってしまうのが、上田衆ならびに北村一輝ファンのあさましさというものなのでございます。 辻褄の合わなさとか説得力の無さとか、そういう重箱の隅(隅にしてはやたら膨大・笑)をつつくことの虚しさ無意味さを、とののいたいけなスマイルひとつで、教えられるわたくしなのでございます。 などと言うわりには盛大につついているのでございます。 それはともかく安部政吉(葛山信吾さん)が男前すぎていっそ卑怯。 自分、今大河でいちばんなってみたい人物が安部政吉なんですが、 そなたの帰りを、殿がいちばんお待ちになっておられたのだ。 うわぁん。 どうしてそんなにも、とのの人生模様をなにもかも隈無く見届けてしまう運命なの安部……。 どれほどつれなくされても。 とのが身も心も求めているのは兼続ひとりだとわかっていても。 雲間から覗くお日様みたいにおずおずと笑顔をみせるとのを見て、我がことのように喜ぶ安部がせつない。 そんな、「見てないようで見てる」な安部ビジョンで再現される独りぼっちのとのがまた美しく、せつなくて。 兼続とは違う行き方で今後もとのを見守ってゆくであろう安部。その安部を待つあまりにも過酷な未来。魚津落城Xデーを思うといまから鬱になるのでございます……。 あと上田庄から春日山まであいのりでGO!な六七にもなにかと、ええ。樋口家の厩には、飛蔭が飼われてるってわけなんですね。美形兄弟があいのりでキャッキャウフフというあられもなさも込みで、恥ずかしげも無く昭和な少女漫画をやらかしてくれるセンスには厭味じゃなく脱帽でございます。少女漫画素材には事欠かない今大河、なかでもとのがほんとにかわいすぎますどうしてくれますか。 不始末をしでかして戻ってきた家臣に、「主君」としての威をつくろって対面するものの、 こたびのことで、ひとかたならぬご迷惑をおかけいたしました。 と正面切っていわれた瞬間、相手のひたむきな視線をうけとめきれず、ふっと揺らぐ眸。 伏し目がちになると睫毛の長さがきわだって、途端になまめかしい顔になる。 ちいさいころから容量以上のものを望まれて、期待に見合う器になろうと努力して、その過程でひび割れをいっぱいこさえて、でも、彼自身はそれにほとんど気づいていない。 あたかも「神」である養父が封じた人としての傷を、代わってその身に引き受けているかのようです。そういうことで、「色気」という厄介なものは醸されていくのです。 そしてそれはもうひとりの美貌の養子も同様。 彼らがどうにか包み隠していた傷が僅かずつあらわになって、ちいさなひび割れが修復できない裂け目を生んでいくのだろうこれからの展開を、ほの暗く、愉しみにしております。
by red_95_virgo
| 2009-03-02 13:42
| 天地人
|
Comments(12)
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M子
at 2009-03-03 13:49
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スタジオ撮影なアレがアレすぎるので、全然今回の大河は観ておりませんが番宣だけはやはり目に入ってきまして、謙信公の最期がどうみても厠の中じゃなく、ありゃありゃ?と思ってたクチでした。
昔、謙信が故郷より遠く離れた地の厠で亡くなったと知ったときはちょっと衝撃を受けまして、そのエピソードを「その歴」系番組で目にするたび、あの軍神は軍神な自分がこんなところで死ぬのかと自覚した瞬間何を思ったんだろう、仏を恨んだか、感謝したか、これが自分の一生の答えかと苦笑したか、それとも何か悟ったか、けっこうリフレインで考えさせられちゃうんですよね。 この最期は、主人公たちにも強烈なメッセージとなり得ると思う、てゆーかたぶん史実でも配下の人たちにいろんなことを考えさせたと思うので、コンパクトでもいいのでそうして欲しかったと思いますです。視聴してないのでアレなんですが。
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red_95_virgo at 2009-03-04 00:35
>M子さん
「運の悪いものは風呂より出んとして金玉を詰め割りて死ぬる者もあり」 と坂本龍馬は手紙に書いたといいますねえ。 金玉詰め割ってもドブのなかでもどうにか死んでくれるのが龍馬、という気もしますが(笑)、「神」とまで言われた生涯無敗男の最期がお便所のなかというのが、その末期の薄暗さが、なんだか私もたまんなかったりするのでした。 一昨年のガクト先生は毎回「ぶははははは」と快適に爆笑しながらみていられましたが、こたびの阿部ちゃんは、そういう隙が用意されていないところが悲しいです。王者の悲哀とかそういうもんじゃなく、立派な風采をめくってもなかは虚なんだろう、というあたりが。また阿部寛さんというかたは、そういうキャラクターとして在ることがたいそう似合っているので余計に。 龍馬で思い出しましたが、来年の福山さんは、どうなるんでしょうねえ(笑)。
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カタリーナ
at 2009-03-04 18:12
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ドラマを見るたびに「義」って何なのかなあと考えています。
そもそも「義」とはあまりに抽象的過ぎて、明確には捉えられません。 それなのにドラマでは「義」という言葉ばかりがあまりに強調されすぎてしまって、悪く言えば大安売り状態なために、かえって「義」の重みを失ってしまったように感じています。 レッドさんが仰るように、ドラマでの謙信がいわゆる美辞麗句に飾られたどこか空虚な人であるせいか、彼の説く「義」もまた表面的にしか響いてこないというのもあるかもしれないですね。 謙信に信長以上の魅力が感じられないというのは同感です。 今夜の「日本史サスペンス劇場」ではIZAMが謙信やるんですね。 ガクト路線を踏襲するんでしょうか。 怖いもの見たさでチラッと覗き見してみようかと思っています。(笑
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ま
at 2009-03-05 20:14
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こりゃひとぬけお疲れ様でした。
>今大河でいちばんなってみたい人物 阿部さんと、阿部ヴィジョン対との。いいっすね。まわりが見えていなかったげな六さんも、六ヴィジョンの焦点・ピントがあってきて。でそっか、<そういうことなら>。いやここはそういうこととしてみると座りがよい。し、そうみえちゃえばええこと。 六は、謙信の虚像を看破したんでしょかのぅ。 謙信さんは、坊主。に立ち返り身罷られ。あのほっかむり、いつとるんらとみてましたら。見たところその剃髪姿には傷一つなく。あれは美しいといってよいお姿と思いました。かつ人としての生臭さを封印していたものがあったとするなら、あのカブリモノはありか。いづれ邪魔だともっぱらの評判でした。はいうちわで。 で自分もこれ、考えてみました。と徐にでてきたのは、はつね。このやくぁ、ある意味狂言回しかジョーカーか、の、組!で喩えれば捨助か。機能次第では俄然面白そな役でもありますがしないと大層つらい。ただし仮にそういう役どころとみるなら、これまた大層むつかしい。演者に50年はえぇという前にこのお題でなにかすっきりです。
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ま
at 2009-03-05 20:24
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お名前の誤字あり。訂正いたします。上記書き込みの”阿部さんと、阿部ヴィジョン”は、”安倍政吉の安倍”です。お許しを。
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red_95_virgo at 2009-03-06 00:39
>カタリーナさん
昨日からついいましがたまで仕事に追われておりまして、お返事が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。 でも、おかげさまでIZAM謙信、すべりこみで録画して視聴しました。 「どうしてそんなにまゆげが上下するんだよ!」 と、義とも謙信ともまるで関係の無いところでつっこんでしまった……。 それにしても兼続の前髪加減といい、とののないがしろっぷりといい、大河に対する奥床しい悪意を感じる構成でしたね(笑)。 なにを「義」とするかは個人によってまるで異なってくると思います。新選組にしたところで、たとえば近藤土方の「義=誠」は「士道」というものだったかと思いますが、そのよくわからない、解釈の幅が広いものを掲げてしまったせいで、あれだけの血が流れたのですし。 『新選組!』は、「誠」に縛られたひとびとの悲劇というふうにも読めると思いますし、同様に『天地人』だって「義」という曖昧なものを無理やり押しつけられた男の子たちの悲劇、と読み替える事は十分可能なんですけどねえ。 シナリオの持つ力に差があり過ぎなければねえ(笑)。 小松先生ご自身の「義」がなんであるかという事を、ぜひとも伺ってみたいものでございますね。
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red_95_virgo at 2009-03-06 01:17
>ま さん
こんばんは。いつも刺激的なコメントありがとうございます。 あの謙信でも、見るひとによってはものすごく偉大で立派、と映るのかも知れませんね。 あれが「虚像」として私たちの目に映るという事を制作者側が意図していたのだとしたらちょっとやられたな、と思うんですけど(笑)。 私はたぶん、小松先生の意図とはまったく外れたところからこのドラマを読みたがっているんだと思います。 阿部ちゃんの謙信公はほんとに美しくて、でも『義経』で彼が平知盛の亡霊をなさったのと同じ感じ、生前は美しく立派だったものが、一度「死」という穢れを通過した事で、本人の意思は関係無く、否応無く、うすぐらいところに棲むばけものになってしまう──みたいな自分好みの展開を、出来過ぎの謙信公に仮託したいのかも知れません。 そのばけものの意思で、養子ふたりが血で血を洗う跡目争いの真っ只中に──とかいう展開がやっぱり好みなんですわー(笑)。
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red_95_virgo at 2009-03-06 01:23
(つづきです)
山南さん枠が景虎様であり安部政吉であるように、捨助枠ってもんがここでも機能してるんだったら、「うぜーよ」「顔も見たくねえよおめーなんか」「無駄にでけーんだよ」って意味ではまさしく初音が一手に引き受ける感じかもしれませんねえ(笑)。 長谷堂で兼続かばって風車頭に挿して玉砕してくれる初音だったらよいのになあ……。 あと自決したひとの髷を親指と人差し指でいやそうにつまんで届けてくる初音。 京の町ではなぜか覆面をしている初音。 ぜんぜんどうだっていいキャラなのに、初音のことばっか考えてしまう自分どうした!?
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ま
at 2009-03-06 18:07
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いやこちらこそ、お忙しいなか、ありがとです。
うるさいんだけど、失礼します。 レッドさん曰くの、今ある謙信像を、疑ってみる、というのがよいわけで。これはつまり、てまえを疑うということであって。 >本人の意思は関係無く、否応無く、うすぐらいところに棲むばけものになってしまう こここ、こり・・・此度の。”あ、また穴ぐらに篭っちゃったよ・・”と、もっぱらの噂でした。ええうちわで。生前、もちろん生きてはいたけれど、ほっかむりと琵琶が出てきた頃から、そんな場所を生きながらにしてうろうろされていたようでもあり。意思もままならない死の間際にしてようやっとなまくさい美しいお姿が顕になったんね。とおひねり飛ばしておりました。うんうちわで。小松先生&制作者の意図は、あずかり知らぬぅだす。 六ヴィジョンには最初から虚像などなく。為政者の家臣としては大事な要素っすが、これが対とのへどうヴァージョンアップしてゆくのか。さてさて。っすね。 とお、そのはつね。是非やらせてください! 実はこれが、一番いいたかった。 さっそく二本の指でなにかしらをつまむ練習しちった。ではでは。
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red_95_virgo at 2009-03-07 10:06
>ま さん
>あ、また穴ぐらに篭っちゃったよ そう、現実の「窟」のみならずなんかいろいろ籠もるひとって印象があるんですよね、このドラマの謙信公。 「穴」というものが好みなので、「謙信の窟」にしろ巷でブーイング噴出の高橋陽一郎演出の「うすぐら異次元ルーム」にしろ、 「どっかで絶対通じ合ってるだろうそれ!」 と、ドラマ置き去りで私もまたもそもそ穴掘りを始めてしまう次第(笑)。 >六ヴィジョンには最初から虚像などなく そうですね。 私自身はドラマでも何でも、 「ものごとの陰陽両面を見る」 を旨としていますが、そうした目は「主人公」が持ってはならぬものだと思います。ましてやこのドラマの主人公にそういう余計なものは最初から与えられていないかと。 >これが対とのへどうヴァージョンアップしてゆくのか 「清廉」を体現するようなとのに、自らも「清廉」で以て相対しようというのが幼いなりに兼続の「義」であったわけですが、ここで彼は、「嘘」というものを否応なしに抱え込まされてしまったわけですから。 その嘘を真(誠=義)に変えるという腹芸を、とのを前にして、こいつはどこまでやり通せるのか、私はそのあたりがとても楽しみなんですが。
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ま
at 2009-03-07 19:06
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ん?いや、通じてる。うん。
復習がだいぶ進みました。謝謝。 ブーイング。 笑(微) もとい。穴っぽこに入ってる感じやからっぽ感が、そわそわぞわぞわさせるんかしらん?あえていえば、あの異次元諸々は、陰の側面をとりあげた陰画と見立ててもよく。ポジネガはもとより相殺もんですが、観るものは俄然なまなましくてみてらんないならこれも道理。 9回は、ほぼいっこぬけた。感じがして。これも制作者サイトが意図して画を作っていたとするなら、すげな・・もしくは、女の浅知恵にざっくり委ねたか?となれば?、どこみても乙女、どこみても女の嘘、浅知恵満載で、これも理がたつんすけど、乙女が乙女であることを疑っていないと完全無欠の乙女になりぃの。満腹にはなりましょか。 台所事情も最大限に”活用”。個人的に大河は、セット撮り、という印象もあり。三谷さんがここに拘ったのは凄く納得もしていた。 また、相殺の仕業が見事でした。 虚像をもちえないとなると嘘をつけない、ともなりますもね。 はい。腹芸ぶりの先行き、楽しみです。 と、故に、変化する。うん。たがいに、がんばろ。
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red_95_virgo at 2009-03-09 15:06
>ま さん
またしてもぢごくに堕ちておりましたのでお返事が遅くなりましてすみません。 「奥」や「底」からその向こうの「外」を眺めるという感覚が好き、というのが自分の穴好きの根拠でもありましょうか。十話の感想でもちょっと漏らしましたが、陰画と陽画の対立とか並行とか、このうえない好物だったりするのですが、穴というものは「なか」と「そと」をつるっと逆転させる事もまた可能な装置なので。 「予算が無いのでスタジオばっか」っていうの、『新選組!』のときにもなにかと噴出した議論でしたっけね(笑)。 私は、京の町という場所そのものの構造、八木邸と前川邸という狭い空間にぎゅうぎゅう押し込められているひとたちの息苦しさそのものが、スタジオ撮影の狭苦しさに二重になっているような印象も覚えました。
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