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2006年 09月 15日
八軒家の次に目指したのは、西町奉行所与力・内山彦次郎暗殺現場、天神橋。
内山彦次郎暗殺については、新選組の犯行だという説、そうじゃないという説、両方あって、今のところ、どちらが正しいとも断定はできないようです。 大河ドラマ『新選組!』第26回「局長近藤勇」では、百姓嫌いの内山と近藤の間に確執が生まれたという展開で、実行犯を土方・沖田・斎藤・原田・島田とし、初菊ちゃんの三味線をBGMに芝居のような殺し場をつくっていました。スタジオ撮影だったため、天神橋も悲しいぐらいショボかったですが、実際は大川をまたぐ、交通量も多い大きな橋です。 天神橋上から、実際に暗殺現場になった南詰を見ると、こんな感じです。 この松屋町筋を更に南に下ったところに、大坂西町奉行所がありました。 天神橋から西町奉行所跡までを実際に歩いてみると、500メートルちょっとって感じでしょうか。襲撃されたとき内山は、奉行所を出て、帰宅途中であったといいます。 西町奉行所跡からもう一度北に戻り、高麗橋を渡ってすぐのところに、山南敬助ラリーに於いて、死んでも避けては通れない場所があります。 「いつだったか、大坂船場のなんとかという呉服屋に、不逞浪士が金を強請りに押しかけた事があった」 第33回「友の死」で斎藤一が語る、その「なんとかという呉服屋」(おみせのなまえぐらいおぼえようよ、さいとうくん…)と思しき店が、小島鹿之助の「異聞録」が、山南敬助が佩刀赤心沖光を折ったと書き残す岩城升屋。 ちょうど、このあたりにあったそうです。 「北船場」と呼ばれるこの一帯には昔から豪商が軒を並べていて、岩城升屋もその一軒でした。 岩城升屋は江戸麹町にも支店を出していた大きな呉服屋で(間口65メートルもある大店で、大奥御用達だったそう)、三井越後屋や鴻池の屋敷などと並んで、おのぼりさんが見物に訪れる、当時の大坂観光スポットでもあったようです。 不逞浪士にとっても、どっちを向いてもお金持ちばかりのこのエリアは、押し借りにはおあつらえ向きの場所だったんでしょうね。 そして、そんなしょぼくれた不逞浪士風情はたぶん敷居をまたげなかったんじゃなかろうかと思われます、創業正徳3年(1713)の老舗、本家 柴藤(ほんけ しばとう)さんで、私たちはうなぎを食べてしまいました。えっへん。 うなぎ入りのごはんに薬味とおだしをかけて食べる、名古屋で言うところの「ひつまぶし」ですが、こちらでは「おひつまむし」でございます。 大阪でうなぎを食べるのは初めてですが、関東のものよりも歯ごたえがあって、たれの味があまり甘くなくさっぱりしている。 もー、めちゃめちゃうまい。 創業時は屋形船での営業、そして淀屋橋→現在の高麗橋とお店を移転してきたそうです。 幕末に既にこの場所にあったのかは定かではありませんが、上方落語の「うなぎや」「鰻の幇間」にも登場するこの柴藤の名前は、きっと新選組の人らの耳にも届いていたに違いあるまい。 おなかがいっぱいになったところで、柴藤からはほんの200メートルほどの距離にある適塾へ。 ボンちゃん、もとい、橋本左内もここの出身です。 あいにくこの日は休館日で内部を見学する事はできず、外観のみ見てきました。 司馬遼太郎の『花神』には、適塾に入塾した村田蔵六が、物干し台に上がって、豆腐一丁を肴に独酌する場面が出てきますが、現在残る適塾の建物にも本当に物干し台があったのでちょっとびっくり(後世になって作られたものかも知れない)。 適塾からこれまた徒歩で200メートル強の場所には、新選組のパトロンでもあった豪商鴻池本宅跡があります。 文久3年、新選組はここで二百両ふんだくってます。 この鴻池にも、押し借りにやってきた不逞浪士を土方、山南が斬り伏せたという話が残っています。 この「山南敬助が商家に押し込んだ不逞浪士と闘って刀を折るエピソード」というのがいくつか交錯していて、どこでなにがあったんだかちょっとこんがらがってしまいますが、 ●大坂鴻池で土方と山南が→「両雄士伝」 ●大坂岩城升屋で土方と山南が→「異聞録」 ●京の鴻池別邸で近藤と山南が→「維新史蹟図説」 みたいな感じでしょうか、まとめると。 いずれも共通する登場人物は「山南敬助」であり、相方、場所は異説があっても、 「山南が不逞浪士と闘って刀を折った(負傷した)」 というのはほぼ間違い無かろうと思われます。 このときの負傷がもとで武人として再起不能になり、山南は新選組の中で居場所を失っていったというのであれば、のちに脱走・切腹(あるいは自刃)に到るそもそもの発端は、まさにこの大坂にあったと言えるのではないでしょうか。 それにしても、ポイントポイントが本当に近い。 最後に訪れた平野屋跡も、鴻池からこれまた200メートル強の距離です。 天王寺屋五兵衛(天五)と平野屋五兵衛(平五)とが店を構えていたので、「五兵衛+五兵衛=十兵衛横町」なんだそうです。 新選組はここでも無理を言って百両ふんだくりました。どうもすみません……。 そしてその金で、あの浅葱色のダンダラ羽織をあつらえたという次第でございます。 山南敬助ラリー@大坂編はこれにてひとまず終了。 北浜駅そばの大阪証券取引所ビルの偉容を仰ぎ(五代友厚の銅像がかっこいい!)、難波橋のライオンにどっきりし、栴檀木橋(せんだんのきばし)から眺める大阪市中央公会堂(下)に見惚れながら、スタート地点・淀屋橋まで戻りました。 中之島エリア、新選組ファンにとっては往時を偲んで感慨にひたれる場所であり、水と緑、そして威風堂々たる石造りの建物群の調和が作り出す非常に美しい景色をも楽しめる、たいへん素晴らしいエリアかと思います。 次に大阪を訪れるのは、大阪グランキューブで吉井和哉ライヴがある12月。 既に宿は、適塾から目と鼻の先のホテルに決めてしまいました。 今回行けなかった場所も含めてもう一度、この素敵エリアをのんびりじっくり愉しんでこようと思います。
by red_95_virgo
| 2006-09-15 01:59
| 新選組/新選組!/新選組!!
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Comments(2)
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eri-seiran at 2006-09-15 07:36
大阪観光・新選組ゆかりの地めぐり、そしてレポ、お疲れ様でした。
関西に住んで長いものの、私も大阪市にはライヴや舞台観賞、出張などの所用で行くことはあっても、純粋な観光と言うものはしたことがありませんでした。観光として行ったと言えば、大阪城と天王寺くらいでしょうか。 特に今回、巡ったところはアクアライナー以外は観光として巡るような場所ではないのですが、通りにも書かれてあった通り、本当に歴史のエリアでしたよね~歩いて初めて気付いた次第です。 新選組や山南敬助についても色々と気付いたり、当時のことを感じられたり、本当に楽しかったです。 アクアライナー、私も癖になりそうです(笑)。 本当にとてもとても楽しかったです。ありがとうございました。またいつか、一緒に回りましょうね。
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by
red_95_virgo at 2006-09-15 13:51
>エリさん
アクアライナーは本当に癖になりました。次に乗る時は二周ぐらいしたいです(笑)。 というか、昔通りに伏見〜天満橋(八軒家)のコースを運行してくれるクルーズ作ってくれたら、一も二も無く乗りますよ! 桂吉弥さんはじめ、落語家さんがナビゲーターをつとめる「なにわ探検クルーズ」というのがありまして、屋形船よりもお安く乗れるので、これもいつか参加してみたいと思っております(吉弥さんがナビのお仕事してる間に)。 そういえば忘れちゃいけない、山崎烝も大坂出身でしたね。大坂の金持ち事情に詳しかった山崎も、きっとこのあたりを歩き回っていた事でしょうね。
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