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2006年 01月 29日
17歳ですって。
英語で言うとセブンティーンです。ポップソングに最も適した年齢という感じがしますが、実際はどんなものなんでしょう。ぷ〜さんから頂いたバトンです。回答してみます。 【Q1】17歳の時、何をしていた? 静岡県の某県立高校第二学年在学中の、洋楽ロック(と一部の日本音楽)しか聴かない女子高生をやっていました。 校則がゆるゆるだったので、男子生徒で髪が腰まである人とか平気でいました。私はロッド・スチュワート(『アトランティック・クロッシング』の頃の)みたいな髪型で、それをオキシドールで(当時は子供が買えるカラーリング剤なんつうものは無かった)茶色に脱色し、エアロスミスのロゴバッジをスカートのプリーツの間に隠して留め、ソックスではなくストッキング(というのがちょい大人な感じだった)にリーガルのローファーを履いて通学していました。スカート丈はやや長めでした。 部活は落語研究部と新聞部を掛け持ち。 図書委員でした。司書のおばさんを誑し込んで、自分の読みたい本を購入させてました。 愛読していた少女マンガ誌は別コミとLaLaでした。 部活の他に、某少年少女合唱団に在籍してました。練習前に喫茶店にたまって煙草をすうという、ちょい悪な真似もしていました。夜のステージ(爆)がある時はお友達のお父さんの車に校門前で待っていてもらい、移動しながら高校の制服を合唱団の制服に着替えたりした事もありました。 いったい勉強はいつしていたんだろう……。 そういえばこの頃、吉井和哉は静岡市在住のデブの小学生男子でした。子供の頃、同じ県内で育っていたなんて、なんだか夢のようですよ。 【Q2】17歳の時、何を考えてた? 勿論、上記のような事をやりながら同時にいろんな事を考えていたんでしょうが、忘れてしまいましたよ。 のんびりしたものでした。放し飼いでしたね。 【Q3】17歳のイベントといえば? 生まれて初めて、東京の日本武道館というところに、外タレというもののコンサートを観に行きました。親戚の誰かが死んだ事にして早引けをして。娘がそういう事をしてもなにも言わない親なので助かりました。 ちなみにアーティストはエアロスミスです。チケットの半券と読売新聞に載った渋谷陽一のコンサートレビューの切り抜きは、いまだに持っています。 あと、友人2人と一緒に文化祭のステージに立ち、アコギ2本+ピアノのバンドをやりました。これがたぶん人生初バンドです。矢野顕子の“津軽ツアー”、“丘を越えて”(from『ジャパニーズガール』)、吉田美奈子の“ラムはお好き?”(from『FLAPPER』)、荒井由実の“ベルベット・イースター”(from『ひこうき雲』)、渡辺はま子の“桑港のチャイナタウン”、“支那の夜”、高峰秀子の“銀座カンカン娘”などをコピーしました。なんだか面妖な選曲ですよね。 【Q4】17歳でやり残したことは? 死ぬ事。 12歳の時に芥川龍之介を読んで、どういう訳か「17歳になったら死のう」と唐突に考え、実行しようと密かに計画していたものの結局未遂に終わりました。当時は、これもやっぱり根拠無く 「18歳になっちゃったらもう自殺なんてうすらみっともなくて出来ねえよ」 という美意識があったので、時機を逸して今に到るという次第です。 死に損なった理由は一つ。生きてるほうが楽しかったからです。楽しい17歳で良かったと思います。 【Q5】17歳に戻れたら何をする? 妊娠・出産。 今思えば、17歳は、自殺よりも出産に適した年齢じゃないかしらと思います。やっぱり根拠無いですが。 でも、17歳で生んだ息子が永山たかしさんみたいな子に育ってくれたらほんと言う事無い。毎日カレー作ってあげます。 【Q6】17歳に戻っていただきたい5人 男性の回答を知りたいなあ。 「K+Yアトリエ」のboro9239さん 「レセパセの日々」のたけしさん こちらをごらんになっていて、お気が向いたら、ひとつ17歳に戻ってはいただけますまいか。勿論、スルーも全然オッケーです。よろしくお願い致します。
by red_95_virgo
| 2006-01-29 02:40
| バトン格納庫
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Comments(16)
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boro9239 at 2006-01-29 12:39
げげ!!
17歳前後の自分だけは人様に披露したく無い!!(笑)。 しかしごredさんの指名とあれば・・・仕方ない・・・受け取りました・・・
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早速回答して頂いてありがとうございました(^ワ^)
私も「LaLa」愛読してました~♪ 懐かしいなぁ…あの頃連載してたのって何だろう??? …………………思い出せない…_| ̄|○ 長いスカートと茶髪で落研に合唱団。 カッコ良過ぎです、レッドさん!(笑)
ええっ? 私も17歳では、静岡県立某高校第二学年でしたよ〜!校則ゆるゆるで… 一学年下に大澄賢也がいたらしい…
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まつこ
at 2006-01-29 21:04
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17歳当時、交通の便も悪いど田舎(^^;)に住んでいた私は、友人と一念発起してTMネットワーク(懐かし・・)のライブに行くことにしました。
でも楽しみにしていたライブ当日、天○崩○・・・ライブは中止。忘れられない思い出です(笑)
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at 2006-01-29 21:21
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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たけし
at 2006-01-30 00:07
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17歳かあ……、すでに遠い目ですよあたしゃあ(笑)。
まだ、なんにも人生始まっていなかったような気がしますが、 まあ、なんとか思い出してみましょう。 てなわけで、バトンは受け取りました。 ブームタウン・ラッツとかナックあたりを聴きながら、 訥々と書いてみようかなと思います。
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red_95_virgo at 2006-01-30 02:18
>boro9239さん
うわ。すみません、披露されたくない時代でしたか17歳は。 バトン、無理にとは申しませんので、スルーされてもよろしかったんですのに。では、あまり赤裸々にならない程度に、さくっとひとつお願い致します(笑)。 >ぷ〜さん 単に昔からみーはーで、今も継続してそうであるという事が、このバトンと向き合っていてよく解りました(笑)。 そしてLaLa。私がリアルタイムのLaLaだと世代的にお若いぷ〜さんはあまり馴染みが無いかも知れませんが、大島弓子先生や萩尾望都先生や山岸凉子先生や木原敏江先生などなどがメインで描かれていた、ありえないくらい豪華なメンツの、24年組黄金期とも言える時代でした。青池先生の『Z』もLaLaでスタートしたんでしたよね。成田美名子や樹なつみなんかはまだデビューしたばっかりで。 就職した時に上司に、 「僕大学生だったけど、LaLa読んでたよ」 と言われびっくりした記憶が。男性にファンが多い少女マンガ誌という事でも画期的でしたよね、LaLaは。
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red_95_virgo at 2006-01-30 02:19
>tomoponさん
おお、同県の方でしたか(笑)。すごい偶然です。大澄賢也が後輩という事は、湖のそばの、西部のあの市でいらっしゃいますか? 私はそこから天竜川と大井川と富士川と箱根のお山を越えた、神奈川県に近いほうです。広いですよね静岡県(笑)。 >まつこさん それは、なんと申しますか、災難でしたねえ。 私が音楽を聴き始めた時代はコンサート会場なんてまだ悪場所で、だいたいライヴハウスなんてもんが普及してなかったので、田舎に住んでるとライヴ観るのもひと苦労でした。 今の時代にティーンエイジャーだったら、音楽を楽しむという点ではもっと楽だったろうなあ、と思います。
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red_95_virgo at 2006-01-30 02:22
>「1月29日21時21分」様
大当たり! もう、かなり気の進まない状態でしたが辛うじてクリアしました(笑)。たぶん、あの国民的御大のセンスがとても苦手なんだろうと思います、私も。 あ、本文に書き忘れましたが、バトンのお持ち帰りはどうぞご自由に。でも、こうして17歳が走馬燈のように頭をよぎっていますと、ひょっとして死期が近いんじゃないかという気持にうっかりなってしまいます(笑)。くわばらくばわら。 >たけし いきなり回してすみませんね。 “マイ・シャローナ”でループしながら、遠い目でひとつお願いしますわ(笑)。
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かわうそ
at 2006-01-30 16:20
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レッドさんが私の高校の同級生だったら、物差しを持って追いかけていたかもしれません。
捕まえたら懇々とお説教。 レッドさんはあくびをしながら馬耳東風。 なんていう漫画のような妄想が。 私の高校は、結構校則が厳しく、風紀委員が1m物差しで、スカート丈を測って校則違反を摘発していました。 なぜかお堅い優等生っぽかった(決して優等生ではなく、あくまで、っぽい)高校時代に知り合って無くてよかったです。(今思うとどうしてあんなに頑なだったんだろう?) 毎朝ベルト部分を折り曲げてスカート丈を短くすることに熱心な娘を見ていると、あの袴のような丈のスカートは、寒い冬には結構防寒に役立っていたのではないかと思います。 入院していたとき、隣のベッドの20歳代のお姉さんが山岸凉子さんのファンで、LaLaや、単行本を貸してくれました。集英社や、講談社の漫画しか読んでなかったので、ものすごい衝撃!!大人になってしまってからではなく、あのとき(厳密に言うと16歳)「処天」や「まりしん」に出会えて、すごく良かったです。
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red_95_virgo at 2006-01-31 13:28
>かわうそさん
信じられないほど厳しい校則の下で17歳を過ごされたんですね。本当に物差しでスカート丈を測るなんて世界があるんですねえ。 うちの高校は(一応進学校なので)お勉強さえしてくれればちょっとぐらいは大目に見ます、という感じでした。上からの不当な締め付けがあると、生徒が自主的に生徒総会開いて教師側に抗議したり、集団で授業ボイコットしたりという校風だったせいか、教師にも結構リベラルな人が多かったです。 だから、校則がゆるくて放し飼いでも大幅に道を踏み外す子はいなくて、見た目が派手な子でも結構真面目だったし、校内暴力も無く、本当にの〜んびりした17歳でしたよ(笑)。そのの〜んびりした17歳のまま、年取っちゃった気がします。 リベラルといえばLaLaもでしたよね。 講談社の少女マンガ誌(フレンド系)には「良妻賢母をつくる」という方針があって、作品もそういう傾向でしたから、自分は全然読んでいません。週マ、別コミ、LaLa、そしてプチコミック、プチフラワーという流れでした。ああ、いい時代だったなあ……(遠い目)。
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まつこ
at 2006-01-31 16:17
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2回も書き込みすみません(^^;)
少女マンガ誌のお話にそうだったのか~と。少女マンガ誌はなかよし、花とゆめを少し読んでいました。兄がいたせいかジャンプやサンデーの方が印象深いです。 17歳の時はちょうど花とゆめで「動物のお医者さん」が始まっていてハスキー犬がその後流行るとは想像もしてなかったです。 娘はりぼん育ちです。私にはみんな同じ絵柄に見えてしまう・・目がこれでもかと大きいです(笑)
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boro9239 at 2006-01-31 18:55
バトンやってみました。吉井ファンで尾崎好きというのはなんか
ひんしゅくを買いそうで恐いですが・・・(笑)
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red_95_virgo at 2006-02-01 12:50
>まつこさん
『動物のお医者さん』、読んでました! 私は既に17歳じゃなく仕事してましたが(笑)。 少女マンガ誌も、しかし昔とは随分様変わりしていますね。 たとえばりぼんは、私が子供の頃はかなり大人っぽい、タブーとされるようなテーマのマンガを載せる雑誌でしたが、ある時期を境に読者ターゲットを変えていきましたし。 ちなみに『アストロ球団』は、少女マンガ読むのとあまり変わらない感覚で読んでました。 球三郎や球七みたいな「女顔の男の子」キャラは少女マンガでは既に当たり前でしたが、少年マンガの中に置かれるとまだ明らかに異質で、その異質なあたりに殺られちゃったんだと思います。
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red_95_virgo at 2006-02-01 12:53
>boro9239さん
すみません、バトン受けていただきありがとうございます。読ませていただきます。 「吉井ファンで尾崎好き」ですか。私尾崎さんはまったく通ってないですが、いえ、ひんしゅくじゃないですよ。どっちも表紙にしたロッキング・オンJAPANという雑誌も読んでましたし(笑)。
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red_95_virgo at 2006-02-06 11:54
>たけし
昨夜そちらのブログにコメントを入れたら拒否されてしまったのでこっちに書きます。 お忙しい中ご回答&TB、どうもありがとうございました。 東京という大都会で17歳をやっているのと、静岡の温泉町で17歳をやっているのとでは、同じ17歳でも違うもんだなという感じです。多感なティーンエイジを都会で送った経験というのは、それだけである意味財産のようなものかとも思います。 学校の外にディスコもライヴハウスも当たり前のように用意されている環境……洋楽好きだった当時、もしも自分がそういう環境にあったら、その後の人生も違っていたかも知れないな。
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