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2006年 01月 05日
はい、無駄に長い上に回りくどい感想です。しかも「続く」です。すみません……。
『新選組!』を放映していた頃、山本耕史演ずる土方歳三という人について、自分はこんな事を書いていました。 鬼だの修羅だのと口では言ってもこの人ほど芯の優しい、心弱い人もおらず、そんな人が肩を尖らせて悪を装うところは本当に痛々しくて正視に耐えない。 颯爽とすればするほど、格好つければ格好つけるほど、突っ張れば突っ張るほど、その隙間から弱さ脆さがぼろぼろと零れ落ちて、零れ落ちた事にはっと気づいて狼狽える、その表情が艶めかしい。 無駄に熱く、しかし熱さを真っ向から認めるほど素直でなく、自惚れが強く、単純で、身贔屓が激しく、子供っぽい。 自信家で、いつも不安で、己の美貌に対して意識的であるくせにその花のような唇から滴る毒には無頓着で、指摘されると途端に傷ついた目になる。 では慰めてやろうかと手を出すと、噛みつかれる。 酷く扱いづらい、厄介な子だが、あんまり綺麗なので嫌いになれない。じたじたと足掻いているその様を、遠くからいつまでも見ていたくなる。 三谷幸喜が山本耕史のために書き、山本耕史が体現した土方歳三というのは、私には、ずっとこんなふうに見えていました。 それまで、土方歳三は長らく私の「憧れの人」で、そして紛れも無く「大人の男」でありました。 世間ではいつの間にか、「土方歳三」という一種の聖像のようなものが出来上がってしまって、流通してしまっていました。ドラマで土方を演ずるのはそれなりにキャリアのある俳優でなければならず、そうなるともう、どうひっくり返っても「重厚で立派な人」にしかなりません。近藤勇についても同じ事が言える。私たちはそういう近藤、土方に慣れてしまっていた。 『新選組!』が登場するまでは。 三谷幸喜が書いたのは、暴言承知で言えば「未熟で不安定で愚かで幼稚な」近藤勇と土方歳三だった。 「私はいったいなにをすればいいんでしょうか?」彼らはそんな事を口にしながらうろうろと逡巡し、逡巡しつつも平然と頑なで、こうと決めたら直進する事しか知らず、故に時に愚かな事をしでかし(しかし彼らなりの義は歴然とあり)、しでかしては悔いていた。気づけばそれなりに「武士」として形になってしまっているのだが、山南切腹後の近藤土方を見れば一目瞭然、百姓の彼らにとってそれは簡単に外れる「武士という仮面」でしか無い。仮面でも、信じていればいつか本当の顔になる。武士である事を俺たちは絶対に諦めない。 そんなふうな近藤と土方でした。 「あのーすいません、ほんとに大丈夫なんでしょうかこの近藤と土方で?」 『新選組!』というドラマと付き合いながら、そういう不安は、常に感じていました。 逆に言えばそれは、目を離したくとも離せない、という事だった。 それほどの魅力があった、という事だった。 土方が、副長として、陰から近藤を支えた。 そういう図式が、この近藤と土方の場合は少し違ったと思う。 支えられていたのは土方のほうだった。 近藤に寄りかかって、辛うじて立っていたのは、土方のほうだった。 覚束無い足取りで、迷いながらよろよろと歩いていたように見えた香取慎吾の近藤勇が、実は山本耕史の土方歳三を遙かに凌駕する大きな存在であった、という事が明らかになったのは、『新選組!』第48回「流山」でだった。 この回の香取慎吾を見て、私は初めて、「未完」という事のものすごさを知る事が出来ました。 そして、「この近藤勇」を失わなければならない土方歳三の、奈落に落ちるような耐え難い悲しみと喪失感も、また同時に、我が事のように感じる事が出来たのでした。 『最期の一日』を演出したのは、「流山」の演出を担当した吉川邦夫氏です。 スケジュールの都合で、『新選組!』においてはただ一話「流山」のみを演出した吉川さんについて、三谷さんは、TV Naviのムックにおけるインタビューで、 「僕は吉川さんをとても信頼しているんです」と語っています。『最期の一日』視聴後にこの発言を読んだのでしたが、もう、なにもかもすべてが「腑に落ちた!」でした。 「流山」をご覧になられた方ならば、たぶん解っていただけるのではないかと思います。 あの「流山」があったから、この『最期の一日』がある。 そう言う事に躊躇いは感じません。 『最期の一日』は、近藤勇というつっかい棒が外れたのちの土方歳三の、その短い人生の終幕における自立への苦闘を描いたドラマだったと思います。 戊辰戦争を通じて、京にいた頃とは大きく変わったと言われる土方。その変化はドラマの中でも描かれています。ですが、穏やかになり、人当たりが丸くなり、そこに居るだけで隊士たちから慕われるようになった土方は、たぶん、なにひとつ納得してはいないのだ。この人は、この世で最も愛した人・近藤勇の死を、なにひとつ受け止めてやしない。会津に墓を作ったのは、そういう「形」でも作らなければ、無明の闇の中で近藤というものを永遠に見失ってしまいそうで、恐ろしかったからなのではないだろうか。だから、総攻撃を明日に控えたその夜になってもまだ、近藤の死を不当と感じ、ひとりこの世に置き去りにされた事に憤り、死に赴く近藤を止められなかった自分を深く憎悪している。 「俺がなんのために今日まで生き続けてきたと思うんですか。すべては近藤さんの無念を晴らすため。あの人が死んだ時俺の人生も終わった、それでも俺が死ななかったのは、近藤勇を罪人のままにしておくわけにはいかなかったからです。今薩長に白旗を揚げたら、俺はあの人になんと言って詫びたらいいんですか!」榎本武揚に降伏の意思がある事を永井尚志から知らされた時、隊士たちの前では持ち堪えてきた土方の、将としての顔が一気に変わる。 ドラマが始まってここまで、一緒にいたい最後まで闘いたいとわがままを言う島田魁や市村鉄之助を、「生きろ」「託した」と、光の方向へ諭し導く事に専心してきた土方歳三が、漸くここで、押し隠してきた気持ちを曝け出す。 待っていた、君のその顔を。 昔のまんま、意地の勝った、目元の力んだ子供の顔で、相変わらずいろんなものが零れ落ちてしまっている。 零れ落ちながら、取り繕いながら、倒れそうになりながら、それでも闘い続けている。 それが『新選組!』の「副長・土方歳三」だった。 聖像のような、「慈母」のような、人間の出来た、立派な「箱館政府陸軍奉行並・土方歳三」なんてものは、私ははなからこれっぽっちも期待してはいなかったんだな、という事が、その時の山本耕史の顔を見て、あっさりと胸に落ちました。 『新選組!』最終回のラストシーンで、無念さを乗り越えて、自分の中にあったいろんなものを青い空に解き放って逝った近藤の、あの充足した表情。 『最期の一日』で、「誰かに殺してもらうために生きている」土方は、まだ全然、あの顔には辿り着けていません。 近藤勇とはなんだったのか。 新選組とはなんだったのか。 近藤勇にとって自分とはなんだったのか。 どうして近藤は死ななければならなかったのか。 どうして今、自分はここで、独りなのか。 そんな自分が生きるとはどういう事なのか。 なにも解らない。解らないうちは、彼はまだまだ死ねない。死んではいけない。 「死に場所を求める」という美意識を、私は否定しません。 しかし、「誰かに殺してもらう」のをただ待つのではなく、「ちゃんと生きて死ぬ」ために、自分が生きてそこにいる意味を知るために、あれだけ膨大な、言葉によるディスカッションが、『最期の一日』の土方歳三にはどうしても必要だったんだろうと思います。 大晦日、実家に帰る途上で、菅野文さんの『凍鉄(こおてつ)の花』を読んでいました。 京以後の土方を描いた佳作『北走新選組』とは違う、もう一つの新選組世界のお話です。 武士としての道を見失いかけていた芹沢鴨は、「真っ直ぐで美しい眼をした男」土方歳三に出会い、己の「武士」を彼に託そうと決め、浪士組の礎となるために自ら死を選び取ります。 「桜が好きか」という芹沢の問いに土方は、「俺は梅の方が好きだ」と、芹沢がかつて詠んだ辞世に織り込まれている花の名前を答える。 「どんなに闇を歩いても…迷うことはない どれだけ血で汚れようと 折る程に強くなる 寒空に凛と咲く…あの梅のように」芹沢は、自分を殺しに来た土方をそんなふうに形容し、 「やはりお前は美しいな」 と言って逝く。 ええ、そりゃもうたいそうロマンティックな少女漫画なのでここで引用するのも気恥ずかしい気持ちがしますが、自分が『新選組!』で出会い、『最期の一日』まで見届けた土方歳三という人への思いも、煎じ詰めればこんなものさ。所詮は単なる「ろまんち」です(笑)。そんなただのろまんちが、 「土方歳三は美しかった」 それだけを言いたいがために無駄に言葉を費やしているに過ぎません。そして、いくら言葉を費やしても、まだまだ言い尽くせない気持ちばかりが残ります。ああ、本当になんて潔くないんだ……。 潔くないまんま、尚も続きます。
by red_95_virgo
| 2006-01-05 15:37
| 新選組/新選組!/新選組!!
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Comments(2)
明けましておめでとうございます。
いつも静かに拝読させていただいておりますが、「土方歳三は美しかった」に賛同したい気持ちを抑えきれず、よろよろと邪魔してしまいました。 ほんまに山本副長はあらゆる意味で男前でございましたーー。 (おまけ・明日、蔵之介さん表紙の演劇ぶっく発売でございます♪)
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Commented
by
red_95_virgo at 2006-01-07 18:21
>あきらさん
明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。 『八犬伝』、とりあえず蔵之介さんの山下定包をチェックせねばー!と前編のみ観ました(後編は『最期の一日』とかぶっちゃったので未見です)。顔色が悪くてまゆげ細くて、退廃的で非常に美しうございましたね。あっちゅう間に殺されちゃってがっかり……。 『最期の一日』は、山本耕史を如何に美しく表現するか、というのが一つのテーマではなかったかと思います。 『新選組!』が始まった頃は 「こりゃまた少女のように愛らしくて華やかな土方歳三だなあ」 と眩しく思い、しかしそのかわいい顔とクソ生意気な言動のギャップにひっくり返ったりもしたものですが(笑)、『最期の一日』は 「よくここまで、“土方歳三”を完成させたよ。天晴れ山本耕史!」 と、ひたすら美しくあり続ける山本土方に舌を巻きながら最後まで観ました。スタンディング・オベーションしたい気持ちです。
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