カテゴリ
プロフィール ごあいさつ tv movie 筋肉少女帯 吉井和哉 北村一輝 佐々木蔵之介 北村有起哉 堺雅人 music theatre book art 長唄 らくご アストロ球団 新選組/新選組!/新選組!! 天地人 おでかけ works 石のあとさき。 腰巻横町便 蓬屋日月抄 占い猿 バトン格納庫 お知らせ 最新の記事
以前の記事
最新のコメント
丼の外へGO!
お気に入りブログ様
Step by Step photologななお 男爵の戯言 七織ノ記 爆裂ボケ日記〜ボケてるつもりはないっ! my favorite things. 裏座敷 蛇果 素敵サイト様 ★ぷらぷら歌劇団R★ 群青色 山南敬助 赤心記 流血スタヂアム まだまだ終わらなーい! アストロ球団 Shinsengumi Express!! 新選組!!ロマンチ!!!サイト!!!! 筋肉少女帯大情報局 筋少の大ブログ 猿でも作れ〜る! 『新選組!』サブキャラ占い! 貼っておくと良いらしい! WRITE ME! レッドへのご連絡は、 lantianjing★gmail.com までどうぞ。 (お手数ですが★を@に変えてください) 検索
ブログパーツ
フォロー中のブログ
記事ランキング
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
2008年 11月 28日
2週間前に「大琳派展」を観に上野に行ったときのこと。
西洋美術館の門前にさしかかったら、漆黒のドレスの、幽霊のように輪郭のにじんだ女が、こちらにましろいうなじをみせて立っていた。 折しも逢魔の時刻。誰そ彼と目を凝らせば「ハンマースホイ」とある。 キャンプファイヤーのフォークダンスみたいな、少し陽気で間抜けな響きの名だが、なにしろ黒衣の女のうなじはきつい誘惑だった。東博に辿り着くまえに、あやうく道を一本間違えてしまうところだった。 その翌々日、『新日曜美術館』で「ハンマースホイ」の特集をやっていた。ハンマースホイはキャンプファイヤーのフォークダンスではなくてデンマークの画家だという。番組をみおわった勢いそのままに上野に走ってゆきたくなったが、仕事で身動きがとれず2週間怺えた。本日、納品帰りに邂逅を果たした。陽気でも間抜けでもなかった。 それはたいそう、「怖い絵」だった。 後ろ姿の黒衣の幽霊は、画家の妻イーダ。 画家がまだ独り身だったころ、将来の妻となるイーダを正面からとらえた肖像画を描いた。会場入ってほどないところに展示されているこれが、どうにもおそろしい絵であった。 正視出来ないというほどではないのだから、と思って迂闊に正視するほどに、怖くて怖くて怖くて、吐き気をおぼえるほどで、これはまずいと正視をやめ逃げた。絵の前から離れても、同じ室内にいるあいだも、そのあとも、「みられている」感じが拭えなかった。 画家は妹や友人の肖像も手掛けているのだが、イーダの肖像はそれらとは一線を画す。己の妻たる女をなぜこうまで、といいたくなるほど悽愴というか惨憺というか。 廃墟のような荒廃しきった姿で描いていたりする。 どうして左右の目の色をわざと違えているのだろう。 どうしてひとりなのに背後の壁に影がふたつ映るのだろう。 どうして灰色がかった緑色の肌なんかしているのだろう。 どうして群像のなかでイーダだけ、画家の手で、顔を消されているのだろう。 正面向きのイーダより、更に怖いのは後ろ姿。 なにを見ているのか定かでない怖さ。どんな顔をしているのかわからない怖さ。それもそうだが第一に、 「どうかした拍子にこの女が、ひょいと振り向くかも知れない怖さ」 である。振り向かれればこれは紛れも無く怪談。 あるフィルムに映っていた女の子の横顔が、フィルムを映写するたびに少しずつ少しずつ正面に向き直っていく。そして…………という怪異譚を『新耳袋』で読んだ。 女の子がこちらをまともに見たとき、ではなにが起こるのか。 「未だ来たらぬそれ」を思って、怖くて怖くてたまらない。 「いたんだ……女がいたんだ──あの濠っぱたにね。ところが、その女が見せたんだ。……ああ──なにを見せたか、とても言えない」 絵のなかのイーダは「くるりと向きなおるなり、袖をおろして、片手でつるりと顔をなで」たりはしないのだが、たとえば顔を見せぬイーダのむこう、壁に掛けられた額のなかからこちらを向く、やはりイーダと思しき肖像画の女には、目も鼻も口も無い。 画家と妻の住まいであるストランゲーゼ30番地の、いくつかの部屋のそこここに佇んで、漆黒の後ろ姿と抜けるようなうなじをさらして、画家の妻は、どうも、生きている人のようではない。 といって、「穢」とか「負」とか、そういったものを纏っているのでもない。 ストランゲーゼというその世界に、あらかじめ具わった機能。 あるいはストランゲーゼというその世界が、後生大事に抱いている記憶。 そうしたものがイーダという女のかたちを借りて、絵のなかにあらわれているかの如くだ。 あるはずのないものであると同時に、あって然るべきもの。 そういう曖昧が、こちらの見ている「いま」の傍らを平然と過ぎってゆく。 閉じられたドアにノブは無い。 壁際のピアノからは脚が消え、影は好き勝手に跳梁し、後ろ向きの女は後ろを向いたなりひそとも口を利かない。 窓の向こうはしらじらとあかるい。けれど窓から出たところでそこもまた、額絵の女の顔のように、つるりとのっぺらぼうの世界なのにちがいない。 そしてイーダは其処に居る。 画家の手によってまず顔を消され、慎ましやかな後ろ姿も無用とばかり、いずれ室内から消去されてしまう、「イーダ」という女のかたち。 かたちが消えて、また記憶が澱のように積もり、そうした諸々の堆積が、目に見えない堆積が、「ストランゲーゼ」になる。 自分は生来「そういうところ」に積極的に行きたくてたまらぬ因果者だから、「後ろ向きのイーダ」を畏れながら、彼女の居るところそのものはとても懐かしく、慕わしく、呼吸がしやすい。 銀の盆も白い皿も蓋のがたついたパンチボウルも、つめたい器物のはずなのに、目にほんのりとあたたかい。 「イーダ」を幽閉し、画家はひとり、コペンハーゲンの町に出る。 町に出てもしかし、画家の目が見るものは「ストランゲーゼ」だったのだろう。 雪のクレスチャンスボー宮殿。 リオゴーネンの大ホール。 旧アジア商会。 運河を過ぎてゆく帆船のマスト。 だれもいない世界を、茫茫と流れ過ぎる無音で無温の時間。 こまやかな細工の小箱のなかを覗き見るように、なにもかもすべてが、愛おしくてかなわなかった。
by red_95_virgo
| 2008-11-28 20:58
| art
|
Comments(10)
Commented
by
カタリーナ
at 2008-11-28 22:58
x
私もこの画家は知りませんでした。
リンク先から絵を拝見しましたが、本当に無音の世界ですね。 使い込まれているはずの家具も、生きているはずの人も、 この世に存在していながら、どこか実体のないもののように見えました。 時空が歪んで、見えないはずの世界が透けて見えてしまった……そんな印象。 部屋に入った瞬間、背中がぞくりとしそうです。 レッドさんの文に、ふとレンバッハという画家を思い出しました。 ハンマースホイと同じ時期に活躍した肖像画の有名な画家ですが、 彼の描く彼の家族もまた、目をそらしたくなるものがありました。 非常に写実的な絵でありながら、体温がまるで感じられないのです。 生きているけれど、触ったら氷のように冷たい肌なんじゃないだろうか……と。 光と影を使って、一見レンブラント風なのですが、やはり全く違う印象を受けます。 眼光がまた非常に鋭いので、見据えられてしまうと足が動かない。 逃げたいけど逃げられない。そんな体験を思い出しました。 ハンマースホイト妻はどんな関係にあり、なにゆえそのようなスタイルで描かれるようになったのでしょう。 時期が合わず観には行けませんが、随分と興味をそそられました。
0
Commented
by
red_95_virgo at 2008-11-29 21:54
>カタリーナさん
寡聞にして「レンバッハ」という画家を知らず、ぐぐってみて、いくつかのイメージを拝見しました。 氷の眸の金髪のお嬢さんを描いた「マリオン・レンバッハの肖像」、「妻や娘たちと一緒のフランツ・フォン・レンバッハ」などを見て、自分も、自分の妻や娘も、こんなふうに「見てしまう」レンバッハというひとはどんなひとだったのだろうか、と 。やはり肖像画というものは、対象以上に描き手自身を描いてしまうものなのかも知れない、と感じました。 ハンマースホイ。 『新日曜美術館』などでは、対象に物語を読もうとする行為を否定する絵、といった語られ方でした。 人物のかたち、服飾、室内に置かれている什器などなどから、そこに様々な寓意を見てとるのがたとえばフェルメールだとすれば、ハンマースホイの絵から感じたのは寓意でも物語でもなく、記事にも書いたように、「記憶」の在りようでした。 作画のときに、彼は写真を多用したそうです。写真というものに封じ込められた像が実像以上にあらわしてしまう、いわば想いといったものが、彼の絵にはひたひたと満ちているように思いました。
Commented
by
ふみ
at 2008-11-30 00:36
x
私も見に行きましたよ。
なんと大琳派展を観終えたその足ではしごしたのです(11月11日)。 新聞だかで紹介記事があった時から気になっていたので、 「新日曜美術館」で取り上げられたら、人が増えてしまうかもしれないと思って、 なんとかその前に、と行ったのでした。 不思議な絵でしたね。確かに怖い絵。 後姿のひとは、どんな顔をしてるか分からない。 そういえば、アンドリュー・ワイエスの「クリスチーナの世界」の クリスチーナも、後姿だったなあと思い出しました。
Commented
by
mizu
at 2008-11-30 02:32
x
わわ、私も28日に行ってまいりました、ハンマースホイ展。ある文庫本のカバーでひとめ惚れして以来、大好きな画家のひとりです。
今回の展示も楽しみにしていたのですが、文庫本ではなく描かれたサイズの世界と向き合うとなるとやはりその、迫力や凄味というようなものとも違う、押し付けるわけではない、けれども何ものにも犯しがたい静謐の深さに圧倒されました。 ですが、何度「あの部屋の中にはいりたい」と思ったことか。でも決してはいれない、はいってはいけない、ということもわかりすぎるほどわかりつつ。どうしようもなく惹きつけられる一方、そんな峻厳とした絶対的な距離の魅惑をもあらためて骨の髄からあじわった次第です。素敵な文章をありがとうございました。
Commented
by
red_95_virgo at 2008-12-01 09:50
>ふみさん
タフネス(笑)。 「大琳派展」の人込みでけっこう消耗してしまったので、とてもはしごなどというものをするエネルギーがございませんでした……。 おっしゃるように『新日曜美術館』で取り上げられると客足がいきなり伸びるといわれてるんで、ハンマースホイも混んでんのかなとびくびくしながら行ったのですが、すがすがしいほどすいており(笑)。 そして、見終わったそのあとも時間はちょっとあったのですが、 「じゃ、フェルメールはしごしよ」 という気力も出なかった。ある意味、観る側の余力を残さないような世界だなあと思いました。 ワイエスにもちょっと通ずるか、とやはり感じました。ワイエスといえばただいまザ・ミュージアムで展観やってますね。もうご覧になりましたでしょうか。23日までだから、仕事の隙縫って行ってこないと。
Commented
by
red_95_virgo at 2008-12-01 10:12
>mizuさん
わわ、mizuさんも同じ日にいらしていたとは! 自分は朝一で仕事届けた足で行ったので、開館すぐの時間でした。人が少なくてほんとうに幸いでした。クレスチャンスボー宮殿の晩秋と冬、2枚を並列しているその前にしかし誰もおらず、思う存分、世界に塗れてまいりました。 あれらの絵を他人の頭越しに見るなんて、あとから考えたらとても耐えられません。 『MYST』『サイレントヒル』なんかが致命的に好きなものですから、私もご同様、「あの部屋のなかに入りたい」と心中駄々こねまくっちゃって(笑)。 後ろ向きのイーダもそうですが、ひとつだけ開いた窓や、塀や建物の向こうにある帆船のマスト、吉井さん風に言うならば「あの向こうあの向こうあの向こう」っていいますか(笑)。 見えない向こうに果てしなく思いめぐらせてしまいますね。 お書きになってる文庫本、検索してみました。すみません、知らない作家さんでした。 カバーとなかみは別物とわかってはいても、これを持ってこられちゃあやっぱり書店で手にとらざるを得ないわ、と思いました。
Commented
by
primex64 at 2008-12-01 14:38
うーん、なんだか凄い「気」をひしひしと感じますね。静謐の暴力とでも言うべき怖ろしさが背景に潜んでいる気がしてゾクゾクしますね。シュールレアリズムの世界って作家ごとに一種独特の世界があって割と好きなんですけれどこの人の作風には更に特異なプレゼンスがありますね・・。
シュヴァルツシルトの境界面に立たされるとこういった風景が見えるのかも知れませんね。
Commented
by
red_95_virgo at 2008-12-01 22:08
>primex64さま
「シュヴァルツシルトの境界面」というのがなにがなんだかだったので調べてみましたが……物理学とかまるでだめ夫な自分には、さらに輪を掛けて「なにがなんだか」でございました(笑)。 ブラックホールの際、ときけば、ああそうか、と朧気ながら。 ハンマースホイはシュルレアリスムの始まる前に亡くなってますが、「ストランゲーゼ」という日常の世界を徹底して追究したという事でいえば通ずるものもあるやも知れません。 絵のなかに描かれた事物からやすっぽいドラマを読み取ることを否定していると言われつつも、こんなふうにまとめて拝見してみると、画家がとじこもった世界が彼にどんなふうに働きかけていたのか、みたいな「物語」をどうしても想像してしまうのが、私の悪い癖です(笑)。
Commented
by
primex64 at 2008-12-02 15:11
ごめんなさい! 変な喩えを出して・・。
もし人がシュヴァルツシルト面に立ったとすると、自分が無限の時間をかけて無限半径の円周を描きながらブラックホールの中に飲み込まれていく情景が観察されるはず・・、という事を言いたかったんです。でも、外からそれを見ている人々の目からは一瞬の出来事でしかない・・。ストランゲーゼ30番地って、ハンマースホイにとってはひょっとしてそういう場所だったの? って、直感的に思った次第です。 失礼しました・・。
Commented
by
red_95_virgo at 2008-12-02 23:44
>primex64さま
いえいえこちらこそ、わざわざお出ましいただきまして恐縮です。 でもおかげさまで、ものすごく明快にイメージ出来ました。 個人的に、YOSHII LOVINSON(現・吉井和哉)というアーティストの遺した2枚のアルバム『at the BLACK HOLE』『WHITE ROOM』から喚起されるもの(風景とも時間とも記憶ともいえるような)が、ハンマースホイにとっての「ストランゲーゼ」にかなり重なって見えるところがありまして。 うまく言葉にならずもどかしいところを、primex64さんのご説明で掬い取っていただいたような気持ちです。 ありがとうございます。
|
ファン申請 |
||