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2006年 07月 02日
最初に見たときは子供だったので、
「なにこのおばさん。気持ち悪い」 としか思わなかった。 がさがさした声が嫌だった。 若くもないしきれいでもない。妙にぴったりとした変なドレスを着て、化粧が異様に濃い。なにより、その頃の日本で頭を金茶色に染めてテレビに出ている人などあまりいなかった。 「頭が人工的に金髪」 というその一点だけでも彼女は、ブラウン管を通じてしか「芸能」というものを知る術の無かった子供にとっては、十分に異端であり脅威だった。 本日7月2日は、青江三奈さんの命日。 今年は七回忌になる。 夭逝とまでは行かずとも、少し早過ぎる死が惜しいな、と思う人がいる。 やっとその人の良さが解ってきて、これからこの人とシンクロしながら年を重ねてゆけるんだ、と嬉しく思ったところで、するりとあっちに行かれてしまう。 青江さんは自分にとってそんな人かと思う。 毎年大晦日は、実家に帰って、酒を呑みながら懐メロばかり集めた歌謡ショウを観るのが恒例になっている。 まっすぐ立つのも覚束無いほど年老いてもなお往年のヒット曲を再演し続ける、「昭和歌謡の亡者」のような歌手たちを観るのが年に一度のお愉しみなのである。 ある年、そういう「歌手の妄執」に混じって、とんでもなくかっこいい女性が、ラメのドレスの裾を引いて婉然とステージに現れた。 青江三奈さんだった。 歌ったのは確か“恍惚のブルース”。青江さんのデビュー曲である。 女の命は 恋だから どこからどう聴いても露骨に性愛の歌である。 はじめて聴いたとき、子供ながらに 「これはいけない事を歌ってるんだ」 と直感した。だから青江三奈という人そのものも、「いやらしいおばさん」として避けたのかも知れない。 そういう、ひとつ間違えば際物にもなるような歌を、しかしそのときの青江さんは非常にクールに、粋に、艶っぽく、堂々と歌った。 なんとも言えず素敵だった。 周りは全員「かつてのスター歌手(の亡霊)」ばっかりという番組の中で、青江さんには「歌い手」としての現役感と色気とパワーが漲っていた。 「青江三奈って、こんなに良かったんだねえ」 と漏らすと、隣にいた母に、 「あんた今頃気づいたの」 と嗤われた。 一度ライヴでこの人の歌を聴いてみたいな、と思っていたら、2000年に亡くなってしまった。 たとえばヘレン・メリルとか、ローレン・バコールとか、ジーナ・ローランズとか、自分が仄かな憧憬を抱いている女性たちと青江さんは同じところにいたように思うのだが、はっきりそれと解る前に、するりと「あっち」へ行ってしまった。 遅かったな、と思う。 歌手は死んでも歌は残る。 でも、「歌い手その人はもうこの世のどこにもいない」という事に思い到ると、やっぱりさみしい。 美空ひばりは52歳で死に、青江三奈は55歳で死んだ。 生き続けていたらどうだったろう。年老いて、「昭和歌謡の亡者」になって、毎年大晦日の夜に、ラメのドレスを着て、濃い化粧をして、マイクにかじりついて、喉を震わせていただろうか。 それは見たくない、という気持ちと、反面どこかで 「でも、それを見てみたい」 という気持ちが鬩ぎあっている。 そう思えばちあきなおみの在り様は「潔い」と言えるのかも知れないけど―― 「ああ、やっぱり間に合わなかった」 には、なって欲しくないものだなあ。
by red_95_virgo
| 2006-07-02 01:18
| music
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Comments(10)
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なぁ
at 2006-07-02 01:55
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1&2&あおえみなっ・・・♪
吉井さんがT-REXカバー曲「Till Dawn」の中で歌ってましたっけ。 あの「奥様は魔女」でしか見たことないような髪形、妖しかったよね。 若き日の美輪さん(当時丸山明宏)にも同じような 「良い子はまっすぐ見ちゃいけない感」が漂っていましたよね。 そういった艶っぽいものを 自分の判断でまっすぐ見られるように なった今、美輪さんは見る機会に恵まれました。 ちあきなおみについては、私も同じく、あの潔さを素晴らしいと思う反面、 ぜひとも生で聴いてみたいと願って止みません。 ちあきなおみのCD聴くと、いつも素晴らしくて号泣しちゃいます。 どれも素晴らしいけど、「夜間飛行」が特に好き。
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先日、【ヨコハマ・メリー】という映画を見ました。
戦後長い間、横浜の街で、外国人将校相手に娼婦をしていた、巷で≪ハマのメリー(または、マリー)≫と呼ばれていた女性についての映画でした。 ひじょうに興味深く、見て良かったと思える作品でした。 この映画に使われているのが【伊勢佐木町ブルース】でした。 とても上手い使われ方をしていると思いました。 ただ、最初に聴いたとき 『?』 と思ったのですが、青江三奈さんではなく、≪渚ようこ≫さんという方の歌でした。 上手なんです。 なんですが、何というか・・・青江三奈独特の、凄み・・・というか、湿っていて、なおかつ乾いている・・・(なんのこっちゃ)感が、やっぱり全然違いました。 父が生前よく聴いていた為、子供の頃は全然イイと思わなかったのに、耳にしっかり入っていたんですね。 今はRedさんとおなじく、今の自分の耳で、青江三奈さんを聴きたいと思います。 拙宅のお気に入り欄に、Redさんを載せさせていただきました。 自分では、『あれ?今更?』な気分ですが、どうぞよろしくお願いします。
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まつこ
at 2006-07-02 21:32
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私も間に合わなかったという歌手は多いです。
美空ひばりさんも亡くなった時はまだ10代ギリギリで、演歌(の域におさまっていませんでしたね)は聴かないなんて言っている年代でしたが、今テレビの追悼番組で聴くと「あぁ、いいなあ」と思ったりします。 好さに気づくのに間に合わなかったのは損した気持ちになってしまいます。 でもちあきなおみさんの「喝采」は、両親が車の中でテープをよくかけており、子供心ながらも暗くて意味がわからないけど何かひっかかりを感じる歌でした。 大きくなって歌詞の意味を知って・・・「歌い手」の歌なんだと初めて知りました。 コロッケのモノマネでも有名でしたね(笑)
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red_95_virgo at 2006-07-02 23:59
>なぁ
青江三奈にしろちあきなおみにしろ美空ひばりにしろ、良いなと思う女の歌い手(あくまでもソロ歌手)というのはどっかドラァグ・クィーンのテイストを持ってる人って感じがするのです。 幸福な結婚とか円満な家庭とか、そういう、いわゆる世間が言うところの「女の幸せ」というもんが歌に一切介入してこない人、と言いますか。「孤高」とか「悲愁」とかをアイコンとして背負ってるって言いますか。 弱いんだよそういう人に(笑)。 母が言うには、デビュー当時の丸山明宏はこの世のものとも思えぬ美しさだったそうで、だから吉井和哉の写真なんか見せても、 「丸山明宏のが全然綺麗だったわよ」 と一蹴されがちでございます。 日本の60年代、なにかと凄過ぎますね。
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red_95_virgo at 2006-07-03 00:18
>祥子さん
『ヨコハマメリー』未見ですが、横浜在住の者として、やはり観ておかねばならぬ作品だと思います。 実在のメリーさんその人と、遂に邂逅する事無く終わったのが残念です。ただ、この映画に出演もされてる五代路子さんのひとり芝居『横浜ローザ』は数年前に地元の劇場で観まして、グダ泣きしました。 “伊勢佐木町ブルース”という歌も、あの「あはんうふん」なため息が子供心に強烈にデンジャーな感じで、「伊勢佐木町」という町のイメージも、あの歌のまんまに形成されてしまいました。のちにモロッコの辰などをはじめとするいわゆる「横浜愚連隊」についての本を読んだりしましたが、やっぱり当時の伊勢佐木辺りは、「大人の町」だったんだなあと。 渚ようこさんの歌は阿久悠作詞の“ふるえて眠る子守唄”しか聴いた事無いですが、声がクリア過ぎて、心惹かれませんでした。いかにも作り込んだ「昭和歌謡」なビジュアルですが、当時青江さんに感じた「異形感」は、残念ながら彼女にはまったく感じられないというか。 リンクの件、どうもありがとうございます。 こちらからも貼らせていただきますね。
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red_95_virgo at 2006-07-03 00:38
>まつこさん
ひばりさんは20代から「いいなあ」と思い始めたのですが、伝記を読んだり音源を買ったりしたのはやはり死後になっての事です。 仰るように、ジャズやシャンソンのカバーもなさっていて、おそらくは耳コピだろうと思うんですが、“A列車で行こう”とか“ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー”なんか聴きますと 「やっぱりこの人は天才だったのだ」 と思います。一度生で歌を聴きたかった。 ちあきなおみは、美空ひばり亡き今となってはおそらく最後の「昭和のディーヴァ」と呼べる人かと思うのですが、活動休止されて既に14年。ちあきさんご自身も今年の9月で59歳です。 このまま「伝説」になってしまうのでしょうか。 勿体無いとは思いますが、その反面、旦那様の死と同じくして歌い手としての自分自身も殺してしまったのか、と思うと、それもまたひとつの物語として「よし」という気持ちも致します。
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かわうそ
at 2006-07-03 05:58
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昨日がご命日だからですね、「パネルクイズアタック25」で、青江三奈さんの問題が出ました。
土方さんの問題も出てましたよ。 地蔵貸した人(じぞうかしたひと)を並べ替えて出来る歴史上の人物は? 吉弥さん、今週のご出演ならよかったのにね。 青江三奈さんは、父のお気に入りでした。 テレビで青江さんが歌うと、『静に!』といって、食い入るように観ていました。 こういう肉感的な人がタイプなのかなあ。 母はまったく違う雰囲気です。(十勝花子風) テレビで満足していたマジメな父です。 松山恵子さんも亡くなったし、昔の歌手はインパクトが有りましたね。
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red_95_virgo at 2006-07-03 22:07
>かわうそさん
ああ、吉弥さんの出番をすっかり忘れて観逃してしまった! なんか伊勢佐木町では青江三奈のそっくりさんなども来て、イベントがあったみたいですよ、昨日は。 青江三奈、うちではむしろ母が積極的に好きでした。ジャズとかローレン・バコールが好きな母なので、青江さんのバタ臭い感じが好みにあったのでしょう。 父もたぶん嫌いではなかったと思いますが、父の好きなタイプは松尾和子とか若尾文子といった、「和」のお色気美人でした。松尾さんも不幸な事故で、50代で亡くなられましたね。“誰よりも君を愛す”、実はカラオケ十八番(笑)。
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祥子
at 2006-07-04 22:12
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Redさん。
リンク貼っていただきまして、ありがとうございます。 【ヨコハマメリー】ですが、redさんも横浜でいらっしゃいますか!? 『観ておかねば・・・』と、思っていただけるなら、ぜひ、ご覧になってくださいとお伝えしたいです。 メリーさん自身の映像は、残念ながら少ないです。 でも、私にとって(見ている人にとって)、嬉しいと思える映像が出てきます ゆかりの方達の証言によって、成り立っている作品です。 横浜愚連隊だった方も出てきます。 勤め先が伊勢佐木町だった際、扱っている品物について、偶然メリーさんに声をかけられた事があります。 故・大屋政子さんの声に似ていました。 忘れられない思い出です。 私は逆に、五代路子さんの芝居を、見たいと思いながらまだ見れていません。 こちらも、ぜひ見たいです。
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red_95_virgo at 2006-07-05 00:02
>祥子さん
そうなんです、横浜に引っ越して既に15年以上でございます。 『ヨコハマメリー』公式サイトで横山剣さんが、 今日は今日しかないのが港の事情とその周辺だ。 だから三日も住めばハマッコじゃん。 と仰ってますので、一応私もハマっ子じゃん、という事にさせていただきます(笑)。 しかしぼやぼやしてたらムービルの上映が今週金曜までじゃないですか! 赤レンガ倉庫では五大路子さん(前回のコメントでお名前の表記を間違えてしまいました…)が舞台挨拶されるようだし。 行きたーい。ハマの埠頭でこの映画観たーい! すべては今抱えてる単行本の仕事の進行次第なのでございます……。 『横浜ローザ』は、メリーさんの伝記ではなく、あくまでメリーさんという女性にインスパイアされて組み立てられた芝居ですが、この映画で五大さんが演じられている場面は、『横浜ローザ』のラストシーンに共通するものではないかと思います。 実は、五大路子さんとは長唄の師匠が同じでして。 私が入門した頃にはもうお稽古にはいらしてなかったんで、実際にお目にかかった事は無いのですが、そのあたりでも、些か縁を感じてしまいます。
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