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2005年 12月 10日
ものすごく基本的な問いを最終回にもなって発するんですが——どうして野球って9人でやるんでしょう?
最初に「野球は9人でやるべし」と定めた人って、そもそもどうしてそこに「9」という数字を持ち出してきたんでしょう? どなたか野球に詳しい方、その理由を教えてはくださいませんか。 野球に限らず、「9」という数字には様々な意味がある。「完成」だったり「終焉」だったり「再生」だったり「死」だったり。 たとえば、作曲家は9つの交響曲を書くと死ぬと言われていたり。ミューズの女神は9人だし、旅の仲間も9人だ。 不思議な数字だし、巨大な数字だ、「9」は。 「9」についていろんな事を考えれば考えるほど、ちょっと怖いところに行き着いてしまったりする。 『アストロ球団』のプロデューサー・秋山純氏は、『メイキング・オブ・アストロ球団』のインタビューで 「『九』っていう数字にこだわらないと、何かものすごく恐ろしいことが起きるような気がして」と、ドラマを全九回に決めた理由をそんなふうに説明しています(実際、ドラマの現場で不思議な事は多々起きたそうだ)。 物語を作る側はそんなにも「9」にこだわっているくせに、アストロ球団そのものは、紆余曲折あり過ぎてなかなか「9」に辿り着けない。そもそも野球は9人でやるものなのに、いつも不完全な状態で試合をしている。原作のロッテ戦は客から3名加えて無理矢理9人にしていたが、ドラマでは平然と6人のままだ。セルDVDには、6人で試合をするという事について、 「ご覧のように、アストロ球団には6人の選手しかいません。この試合に限り、特別ルールが適用されます」という解説が入っている。地上波での放映時にはこれは無かったように思うのだが、つまりそこまで念を入れて「9になる事」を避けている。対ビクトリー戦終盤で9番目の超人・火野球九郎が姿を見せた時も、 「自らに恃む。それが超人だ」の一言で以て、それを退ける。 物語は「9」という完成形を目指しているのに、その一方で常に奇妙なストッパーが働いて、「9」になる事を阻害し続ける。 思えば原作でもアストロ球団は、9人の超人が揃った状態で完全な試合をしていない。 本編では全世界のプロ野球界からはじき出されて、新天地を求めて 「アフリカ!!」 だし(笑)。 番外編の「激突!! 日米超人野球の巻」では、ミラクルボンバーズにボコボコにされている巨人軍を助けるために後楽園球場に駆け付けるものの、9回の裏と10回の表だけ戦って去ってしまうし。 そしてドラマでは、第九球も押し詰まって球四郎と球九郎が加わり、めでたく9人揃ってこれでやっと巨人軍と試合が……と思ったら、球一が第一球を投げるのと同時に9人全員が忽然と消えてしまう、という成り行き。 原作が常に現在進行形であるのに比べ、ドラマは、2005年現在から過去を回想するという形で始まった。シナリオで回想法を使う時のお約束に「入口と出口を同じところにする」というのがあって、つまり物語は必ず始まった時点に戻ってきて終わる、という事になっている。 ドラマ『アストロ球団』も、2005年の「今」に帰ってきて終わるであろうという事は、第一球の冒頭で既に見えていた。最後に「アフリカ!!」はいくらなんでもねえだろうと思ってたけど(でも、実はマサイ族と試合するとこもちょっと実写で観たかった・笑)、んじゃどうやってアストロナインの始末をつけるつもりなんだろう、とずっと考えていた。 ある時点でナインたちが1973年からタイムスリップして、2005年に姿を現すんだろうか、とか。だって、最初で星が九つ飛んだから。 まあ、結局彼らは1973年から消えたのだが、その行方は杳として知れない。 もしかすると、「揃ってはいけない数が揃ってしまった」という事の結果がこれだったりもするのだろうか? 人間を超越した「超人」というものが、更なる「完璧」である数「9」に到ると、世界のあるべき秩序が破壊されてしまう。最後の最後でなんらかの意思が働いて、それを回避したのでは……とか、穿った事もあーだこーだ考えてしまうじゃないか(笑)。 この8月から、『アストロ球団』というドラマを視聴してその感想を書くという行為を毎週繰り返してきたが、ざっくり言ってしまえばそれは、 「超人ってなんだろう?」 という問いを毎度繰り返していた、という事でもある。いまだ答の出る気配は無い。気配は無いのに彼らはさっさといなくなってしまった。無情といえば、こんなに無情な事も無い。超人ならぬJ・シュウロはこの世に置き去りにされ、ほどなく来るだろう死を見つめている。沢村栄治という、既に「実在した巨人軍の名投手・沢村栄治」以上のなにものかになってしまった存在に、結局シュウロという人は使い捨てられたのか、とも思う。第一球冒頭、アストロスタジアムの跡地から掘り出された沢村の銅像の意味は、やっぱりちょっと、迂闊に触れてはいけないところにあるのかも知れない。「一試合完全燃焼」と記されたボールを手に、空を見上げ、 「そうか……」の先にシュウロはなにを言おうとしていたのか。あれを聞きながら、 「頼むからその先は言わないでくれ! ていうかくだらねえ台詞言わせやがったら承知しねえぞ脚本家!」 と手に汗握ってたが(笑)、終わってみればなに一つ、やっぱり答は出ないままだ。 ドラマのエンディングだって言っちゃえばお客さんに丸投げだったし、狡いといえばこれほど狡い事も無い。だけどまあ、中島徳博先生が言うように、 「謎は謎のまんまでいいじゃない。余計な謎解きっていうのは、つまんねえや」でいいのかもな、とも思うし。 『天人五衰』の最後の台詞をパクれば、 「アストロ超人などというお方は、もともとあらしゃらなかったのと違ひますか」だ。 「記憶もなければ、何もないところへ来ちゃったのかなあ……」 と、茫漠とした思いの直中に放り出されたような気もして、ちょっと、いや、かなり虚脱している、今の私は。だから、この最終回の感想を書くのはとても難しいし、事実いつまで経っても、書けそうにない。 書きたい事は山のようにあるんだけれど(笑)。 結局、人の世に容れられないがゆえに彼らは「超人」だったのか、とも思う。 少し前のレビューに、 「存在を否定されたものたちが、それでもこの世で存在しよう、居場所を求めようとする、そういう衝動のようなものを綴った物語に、実に弱い」 と書いたが、これはそのまま『アストロ球団』にも当てはまる。 なにかに必要とされたからなにも無いところから現れた。 その必要がなくなった時、再びなにも無いところへと還っていった。 私が読んでいた『アストロ球団』というのは、つまるところ、ただそれだけの物語だったのかも知れません。 それでもやっぱり、あの9人がそこに居た、という事だけは確かな事なのだ。 泥にまみれ血を流して、絶望の淵で泣いて、しかしなけなしの希望は決して捨てず、夢に向かって鮮やかに走り抜けて行った少年たち。 「超人」という麗々しい名を冠すにはあまりに未熟で、あまりに無様で、あまりに脆かった、愛すべき少年たち。 君たちの笑顔を。 君たちのアストロ魂を。 君たちの背に刻まれた1から9までの数字を。 私は忘れない。 心にボールの痣を持つであろう人、全ての胸ぐらを掴んで、 「その痣の疼きを思い出しやがれ!」 と迫るような、体の深いところに点る埋み火を無理矢理掻き立てるような、永遠に終わらない物語として、『アストロ球団』は、再び新たに始まった。1ページ目から、また私は、君たちの物語を読み直すだろう。何度でも。 だから、今は一言だけ。 ありがとうございました。
by red_95_virgo
| 2005-12-10 13:51
| アストロ球団
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Comments(6)
お疲れさまでした!
「完全燃焼祭」楽しんでこられましたか? ほんとうに自分の頭をどう絞っても、言葉が空回りするばかり…。最後は判んなくって何が悪いよ?!と居直ってUPしました。 ただドラマという人の解釈をとおして自分が『アストロ球団』ってものをどう読んでいるかは、いやってほど判りました(笑)。 原作が好きだってことも。 これからも折々に読み返していくんだろうと思います。本を開いたら真っ白になってたなんてことがない限り(あったらイヤ…)、どっこい元気にやってる彼らとのお付き合いは続きますから。 今、うしろのTVで録画を回しっぱなしにしているのですが、シュウロが球四郎に「(負ければ)アストロ球団…消滅だな」と言うセリフが聞こえ「勝っても消滅じゃんかっ!」と、ちょっとだけ泣きました…。
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KOH
at 2005-12-11 17:35
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初めまして。こっそり毎週ドラマの感想を読ませていただいてた者ですが今回の記事を読んだら泣けてしまいましたので、少々・・・
私は古田氏の出演がきっかけでドラマを見始めたクチで、最初は笑うだけだったのがロッテ戦の終盤あたりからかなり・・・マジにハマってしまいました。 そのあたりからredさんのブログを読ませていただいておりましたが、redさんの博識ぶりや文才にいちいち感心しておりました。読み込みが深い、とでもいうのでしょうか、ドラマを一段階深く掘り下げてくださるあたりが、とても素敵でした。 今回も「9」という数字に着目なさるなど、興味深い切り口で分析してくださり、引き込まれるように読ませていただきましたが、数字って、意味を考え出すと深いですよね?7は8に進み、8は9に進めるけれど9が次に進むには一度0にならなければならない。そう思うと、ドラマの終わり方、すごく意味深ですよね。良かったんじゃないかと思います。 ともかく、redさんの素晴らしい感想が読めて幸せでした。私もアストロという作品が忘れがたいものになりました。ありがとうございました。
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red_95_virgo at 2005-12-11 23:49
>もりわきさん
完全燃焼祭、ドラマと同じ人が同じユニフォームで、あれだけの人数で目の前に立たれると、壮観というより恐怖です。体調悪い時にはムリです(笑)。 最終回のエンディングについてどう思うかという質問があったんですが、球七役の永山さんが 「僕はアフリカに行きたかったです」 と答えてて、 「おまえ……すっごく解ってるなアストロってものを!」 と、おもわずおこづかいをあげたくなりました。撮影中もずーっと原作読んで分析してたらしいです、彼。 ドラマの終わりで感じたのは、人が居るべき場と果たすべき仕事という事についてでした。 結局「巨人軍と試合をする」という事がアストロの使命ではなく、それ以前に、既に彼らは彼らのやるべき仕事を終えており、あそこで「消える」(=天から授かった命を天に返す)のは必然だったのじゃないだろうかと。 とはいえ、やはり「これ!」といった答は出ないんですけどね(笑)。
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red_95_virgo at 2005-12-12 00:09
>KOHさん
はじめまして。 毎回、かなり独善的な視点で感想を書いてきましたが、お読みいただいた上に過分なお言葉まで……本当にありがとうございます。 算数や数学はまるでだめですが、数字というものに弱い生まれつきです。言葉に言霊が宿るように、数というものにも、使われたからにはきっとなにか意味が宿るのではないかと思ってしまいます。 9のあとにはなにも無い(=ゼロ)、或いは9の先には宇宙がある(まさにアストロ!)とすれば、9になった時点で次の一歩を踏み出した彼らがああいう成り行きになるのは理に叶ってるのかなあ、とか(納得するのはなかなか難しいですけど・笑)。 また、古田氏の背番号「27」も足せば「9」になる数字で、最終回第九球の最後の最後がその数を背負った人物のショットで終わるというのも、偶然なのか作り手のたくらみなのかわかりませんが、「すげえドラマだなあ……」と思いました。 ドラマは終わってしまいましたけど、このエンディングについても、また原作についても、自分の目線で考えてみたい事が多々ございます。また妙な事を書いちゃうかと思いますが(笑)、よろしくお願い致します。
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たけし
at 2005-12-12 00:13
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う〜む。「9」ってのは昔から私もこだわっている数字でもあり魅力的な題材ですよね。
謎は謎のまま終わると言うのも、 また、存在そのもの不確実さというある意味倫理学的な解釈の可能性も、 私としては非常に好みとするところでございます。 こういう終わり方(あらたな始まりでもある)をする事によって、 そして9人であると言う事でベースのひとつである「八犬伝」を 天晴れ軽々と凌駕する物語と成り得たのでしょう。 しかも、同時にそれを2005年の物語として成立させる、 というウルトラCをも達成した、全9話だったんですね。
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red_95_virgo at 2005-12-13 01:03
>たけし
原作の「アフリカ!!」も、言ってみりゃ現実の土地という実感は非常に希薄ですよね。まあ確かにマサイ族との試合も実写で観たい事は観たいけども(笑)、 「本当にアストロ球団はアフリカに辿り着いたのか?」 という事については遂に語られずに終わっていた。 あんまり評判良くない続編を考えなければ、結局彼ら9人はコンコルドに乗ったまま消えた、という解釈も可能だと思うし。 ドラマのプロデューサーも原作の大ファンだそうなので、 「こういうふうな原作の読み方もある」 という事の一つの例を、今回のエンディングでは示していただいたような感じがしています。
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