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2005年 07月 31日
第4回の感想、なんだかんだで書き逃してしまいましたが。
4回、5回を観ての私の感想は、このタイトルがすべてです。 阿久津真矢は既に、 「打ち倒されるべき大人」 の役割を一身に引き受け始めている。 私は、この人がどんなに辛辣で非道で狡猾で邪悪であろうと、一度たりとも「卑怯」だと感じた事が無い。 体の良い言い訳や嘘や誤魔化しが、彼女の口から出るのを聞いた事が無い。 アウトプットだけ見てその裏を考えもせず非難するのは、きっととても「優しい/易しい」行為。 そういう意味で「わかりやすい悪役」として阿久津真矢は、視聴者にとって効果的に機能しているんだろう。 このドラマに出てくる殆どの大人たちは腑抜けた愚か者で(勿論ドラマの設定上、「敢えて」だけど)、子供たちとのぶつかり合いを巧妙に避け、ぞんざいにあしらい、ご機嫌を取り結び、そうする事でいわば子供から「逃げて」いる。 しかし一人阿久津真矢だけは、そういう卑怯な真似をしない。 頭を上げ胸をそらせ背筋を伸ばして、この人はいつだって真っ向から、冷え冷えとした目で子供らを見る。 常に「悪」として誇り高く在り続ける阿久津真矢の愚直なまでの真摯さは、道一本間違えると笑えてしまうほど。 (勿論制作者側は、彼女を「笑える存在」として描いてもいるんだけど) そういう阿久津真矢の馬鹿と紙一重の在り方は、誰かに似ていないか。 たとえば神田和美に。 阿久津真矢と神田和美は、コインの裏表のようなものだ。 一人の人間を「神田和美」と「阿久津真矢」という二つのキャラクターに分けて描写しているのか、或いは「阿久津真矢の過去の姿」が神田和美か、だと思う。 神田和美に向けられる阿久津真矢の棘だらけの、しかし到って正しい言葉の数々はすべて、一周すれば阿久津自身に返ってくるものだ。 言葉は諸刃の剣。 他者を斬る言葉は自分の身をも傷つけるのだし、そういう事に無自覚なまま他者だけを斬ろうなどと虫の良い事を考える輩(たとえば和美の両親や、和美をいじめる子供たちなど)は、一生愚かなまま、「自分が他者からこんなにも傷つけられた」という事だけを、性懲りもなく怒り訴え続けるしかない。 「いい加減、目覚めなさい」阿久津真矢のこの決め台詞は、単純で明快だけど、それだけに重い。 いじめられて教室から逃げ出した和美が、とうとう涙をこらえきれず、真矢にむしゃぶりついて叫ぶ。 「どうしてそんなにいじめるのよ。あんたのせいで友達いなくなっちゃったじゃない! 学校来んのもやんなったじゃない! 独りぼっちになったじゃない!」 それに対して和美の手首をぐいと掴み、その目を覗き込むように、阿久津真矢は言うのだ。 「いい加減、目覚めなさい」 ここで、 「子供にここまで言う事ないじゃない。和美ちゃんがかわいそ過ぎる!」 などと怒っちゃったら、まあこんなドラマ観てもなんの実にもならないから早く寝たほうがいい。でもちゃんと見れば、この厳しい言葉を吐く阿久津真矢の表情の不思議さに気が付く筈だ。 目の中に、慈愛みたいなものがほの見えるんです。 或いは、 「やっと闘い甲斐のある相手を見つけたわ」 みたいな満足感が。 感動した、不覚にも。 これは、大人対子供の闘い、というような図式のドラマじゃない。 一人の人間と一人の人間の、互いの誇りを懸けたぶつかり合い。 「相手が年端もゆかない子供だから」 という理由での手加減なぞ、侮辱でしか無いのだ。 「あたしを味方につければもう誰もいじめないし、怖いものはなにも無いのよ」 もしも神田和美がこの誘惑(そう、しゃあしゃあと誘惑するんだ阿久津真矢は。「悪魔」だから)に易々と負けてしまうような子だったら、彼女も腑抜けた愚かな大人と同じところに向かう道を選んでしまった筈。 そんな甘い救われ方をして、視聴者を安心させて、自分もハッピーでいられるような愚劣な主人公など、私はこれっぽっちも見たくない。 「おまえさあ、なんでそんな一生懸命なんだよ。なんで真矢にも必死こいて逆らうんだよ。なんでおんなじクラスだからって、みんなと仲良くしようとすんだよ」 と問う真鍋由介に対して、 「だって、このままじゃなんで同じクラスになったのかわからないじゃんあたしたち。6年3組の24人がおんなじクラスになったのは運命なんだよ絶対。だったら友達になりたいじゃん。仲良くしたいじゃん。楽しい思い出いっぱいつくりたいじゃん。なぜそう思っちゃいけないの?」 と逆に問い返す和美だからこそ、天晴れ阿久津真矢に拮抗するヒロインたり得るのだ。 これからも神田和美には、数多の試練が降りかかるだろう。 だけど、たぶんこの先の人生で、「なにもせず逃げる」という道を彼女が選ぶ事は無い、と思う。 「なぜそう思っちゃいけないの?」と言った和美の顔でストップモーションにして、昨夜はこの曲を聴いた。 僕ら タチムカエ神田和美。 「強くて 頭もおよろし」い連中に鼻で嗤われても。 そして、ぐだぐだ悩むのはやめて、クールに頭を使って生き延びる道を考えろ。 おまえがいつか自分を殺してくれるのを、悪魔は微笑みながら待っている。
by red_95_virgo
| 2005-07-31 15:12
| tv
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Comments(4)
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こと
at 2005-07-31 22:33
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ラッキ~♪
昨日の『女王の教室』、野球中継ですっかり後半が録れていなかったんですよ。来てみてよかったですv 毎週ハラハラしながら見てますが、コワイんだけど色々考えさせるんですよね、このドラマ。 そして、エンディングの天海ねーさんの、ドラマと全然関係ないダンスが素晴しい。ステキです。
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red_95_virgo at 2005-08-01 14:36
>ことさん
そうそう、「もし自分が神田和美だったら?」「もし自分が阿久津真矢だったら?」と、昨今のドラマではありえないくらい、見る側を挑発して考えさせる作品だと思います。 天海さんすごく綺麗で、子供たちも可愛いので、「目の保養」という点でも見応えありですし。 第5回では、おぼれかけた和美を、プールに飛び込んだ真矢がスッと抱き上げて助けるシーン。 なまじの男女のラヴシーンなど屁でも無いくらいエロくて、どうしようかと思いました……。 やはり男役をされていた天海さんが演じるからこその説得力ですよね。
レッドさん、こんばんはー。
またもや「タチムカウ」に釣られて(笑)お邪魔しました~。 天海さん、ほんとにカッチョマン(笑)すぎです。 男以上に、男前とは如何なるものか・・・陶器みたいなお顔ですよね、素敵♪ 社会的に問題になる作品というのは、いつも確信犯的に視聴者に揺さぶりをかけている気がしませんか。 このドラマも実は大切なことをたくさん問いかけていて、受け手として我々が今もっとも見つめ直さなければならない問題を、的確に示していますよね。 それは、本当に「タチムカウ」勇気だったり、何事にも恐れない強靭な精神や肉体。 甘えが許される現代だからこそ、このドラマは親子で考えて欲しい作品ですね。お!いつになく真面目なコメントでした(笑) また遊びにきます(^^)/
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red_95_virgo at 2005-08-04 02:21
>tomoさん
『最後の聖戦』が発表された時、“タチムカウ”を聴いて、正直あまり好きになれませんでした。捨て身さが、いくらなんでもあからさま過ぎて痛々しいと思ったのです。 でもこれは「敢えて犬死にする勇気」を礼賛しているのではなく、「それでも、生き続けて ドーナツ屋で、我々は再び会うべきなのだ」という事を前提としての「タチムカウ」なのだと気づきました。 (“221B戦記”の後にこの曲が来るのはそういう意図かと) 『女王の教室』というドラマも同様に捉えています。 「一人で生きろよ 辛くとも死ぬな」などと和美ちゃんにエールを送りながら見ています。 大槻の詞って、今にして思えば予言だったんだなあ……。 「神」田和美と「アク」ツ「マ」ヤの闘いという図式が際立ってきましたが、6年3組の子供たちがそれにどう触発され変化していくか、そしてそれを受ける大人たちはどうするのか。 「自分ならば」どうするのか。 こんなにいちいち考えながらドラマ見るのも、かつて無い経験です(笑)。
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